第49話:その退去費用、ぼったくりかも——サインを拒否したら、敷金が戻ってきた話
借りる側シリーズの第2弾です。前回の第48話では家賃の値上げを断った話を書きました。今回は、賃貸を出ていくときのお金——退去費用と敷金の話です。
私はこれまで3回、賃貸の退去を経験しています。結果はこうでした。
- 2回:敷金は全額返金。立ち会いすらなし
- 1回:「床に傷がある」と指摘され、納得できなかったのでサインを拒否
まともな貸主なら、退去はもめないのです。もめた1回が、今日の本題です。
「床の傷」でもめて、サインしなかった話
その退去のとき、立ち会いで「床に傷がある」と指摘されました。私には心当たりがなく、納得できませんでした。そこで、精算書にサインをしませんでした。
そこからが長い話です。先方はなかなか敷金を返してくれません。私は少額訴訟(60万円以下のお金の請求に使える、簡易な裁判の制度です)を起こして、遅延した分の利息まで請求するつもりで準備していました。すると——1年後、敷金は返金されました。訴訟の準備までしていたので、正直ちょっと残念だったくらいです。
この体験から言えることは1つです。納得できない請求に、その場でサインする必要はありません。サインさえしなければ、「合意した」という事実は作られない。時間はかかっても、法律はこちらの味方をしてくれます。
法律は、借りる側の味方
条文を確認しておきます。2020年の民法改正で、このあたりのルールは条文にはっきり書かれるようになりました。
敷金は、返ってくるのが原則です。 民法622条の2は、賃貸借が終わって部屋を返したときは、貸主は敷金から未払い家賃などを差し引いた残額を返還しなければならない、と定めています。「敷金は戻らないもの」ではありません。
普通に住んでできた傷みは、借主の負担ではありません。 民法621条は、借主が原状回復義務を負うのは損傷がある場合だとしつつ、「通常の使用による損耗」と「経年変化」は除く、と明記しています。家具を置いた床のへこみ、日焼けした壁紙、冷蔵庫の裏の黒ずみ——こうした「普通に暮らした結果」は、家賃に含まれている扱いで、退去時に払う必要はないのです。
さらに、国土交通省の**「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」**が実務の基準になっています。ポイントは2つ。
- 経過年数が考慮される。たとえば壁紙(クロス)は6年で残存価値1円という計算になります。うっかり汚してしまっても、長く住んだ部屋なら新品価格を払う理由はありません
- 負担するのは壊した箇所だけ。壁の一部を傷つけたからといって、部屋全体の張り替え代を持つ話にはなりません
「前からあった傷」の立証は、大家側の仕事
もめた私の事例のような「その傷、入居前からあったのでは?」という争いでは、借主がつけた傷だと証明する責任は、基本的に貸主側にあります。借主が「私はやっていない」と証明する必要はないのです。
ぼったくりは、現実にある
残念な話ですが、大家仲間から聞く話では、地域によっては原状回復費用を過大に請求する例が珍しくなく、ぼったくりのやり方を教える業者向けセミナーまであるそうです。中には数十万円単位の請求をされたケースも報告されています。
ちなみに、ワンルームなら退去費用の目安は2〜4万円程度(大半はハウスクリーニング代)とされています。それを大きく超える請求が来たら、「国交省の『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン』に沿った内容ですか?」と聞いて、内訳を書面で出させてください。
貸す側と借りる側には、圧倒的な情報格差があります。それを埋めるのがこのシリーズの目的です。
いちばん危ないのは「ひとりでの立ち会い」
ここが今日いちばん伝えたいことです。
ワンルームの退去立ち会いを想像してください。借主は若い人がひとり。業者側は複数人。そこで「この傷は弁償です。ここにサインを」と迫られたら——不満でも、怖くて、早く終わらせたくて、サインしてしまいませんか。サインしてしまえば「合意」が成立し、あとから覆すのは大変です。
だから、こう覚えておいてください。
- 退去の立ち会いは、法的な義務ではありません
- 立ち会うなら、ひとりで対応しない。家族や友人に同席してもらう
- 不安なら、立ち会いを断って鍵の返却だけにするのも正当な選択肢です。立ち会いをしなくとも、鍵は記録が残せる形で送り返せばいいだけです。精算は後日、書面やメールでやり取りすれば、記録も残って安全です
- 立ち会う場合でも、その場でのサインは何があってもしない。「持ち帰って確認します」は失礼でもなんでもない、当たり前の対応です
- 「サインしないと終わらない」と圧力をかけられたら、それ自体が異常です。**消費者ホットライン(電話188)**に相談してください
大家として、私はこうしている
私自身の物件では、退去時の精算を東京都の**「賃貸住宅トラブル防止ガイドライン」**に沿って行うよう、管理会社にお願いしています。普通に住んでできた傷みを請求することはありません。その一方で、ハウスクリーニング代は、契約時に特約を結んだうえでいただいています。特約は、内容が明確で、借主がきちんと合意していれば有効です。だからこそ借りる側の方は、契約のときに特約欄を必ず読んでください。退去時のお金の話は、実は入居の日から始まっているのです。
そして大家の立場から、はっきり言えることがあります。まともな大家や管理会社は、退去の現場で強引にサインを迫ったりしません。その場でサインを急がせる相手は、それだけで疑っていい。私が借主としてサインを拒んだとき、最終的にお金が戻ってきたのは、向こうの請求に根拠がなかったからです。
まとめ——退去で覚えておくこと
- 敷金は返ってくるのが原則(民法622条の2)
- 普通に住んでできた傷みは払わなくていい(民法621条・国交省ガイドライン)
- 壊した箇所があっても、経過年数分は差し引かれ、負担は該当箇所だけ
- 「前からあった傷か」の立証責任は貸主側
- 解約に必要なのは、期限を守った解約通知(多くの契約は1ヶ月前まで)と、荷物をすべて出したうえでの**明渡し(鍵の返却)**だけ。立ち会いもサインも、解約の要件ではない
- 立ち会いはひとりで対応しない。立ち会い自体も断ってもいい。その場でのサインもしなくて良い
- 契約時に特約欄を読む。退去のお金の話は入居日に始まっている
※本記事は情報提供を目的としており、特定の投資判断を推奨するものではありません。個別の退去費用の交渉や法的手続きについては、必要に応じて専門家にご相談ください。